環境・遺産デザインコース
パッチワークの森づくり
昨年度から国土緑化推進機構と日本財団のご支援をいただき、群状間伐の森づくりを進めています。今回、紹介サイトを設けましたので、ぜひ、お訪ねください。
パッチワークというのはネーミングであり、学術的に群状間伐とイコールではありません。
「パッチワークのような森を」という将来像のイメージを期待したネーミングです。
私のようなデザインの分野の人間が、なぜ、群状間伐を、というご指摘もあるかと思います。
私たちの関わる地域の山は、台風による風倒木の被害と財価の低迷で地元の方は管理を進められない現実があります。中長期的に建材としての優れた木材を育てることは欠かせないことですが、一方で、広葉樹の混交する森づくりを部分的に進め、生態的に安定した、また、バイオマス資源として利用できる森を育んでいく必要があります。
一般的には、広面積を伐採し、広葉樹の苗を植林することが多いのですが、その下草刈りは10数年必要となり、とても過疎化の地域で継続できる状況ではないと感じられます。群状間伐は、低コストで速やかに樹林化を図ることのできる過疎地域に適した更新方法ではないかと期待し、モデル林づくりとして取り組みました。
今後、様々な方々と、このモデル林の成長を見ながら、将来の方向性を検討できればと考えております。
ぜひ、ご意見、アドバイスをいただきたくお願いいたします。
みちをみどりに.com
人材育成
今日は、山梨県立八ヶ岳自然ふれあいセンターを訪ね、川嶋先生と、やまねミュージアムで湊先生のお話を伺うことができました。詳細はブログには書きませんが、人材育成や環境教育の取り組みに関する考え方の共通性を見出すことができました。
写真は、富士山の方向を向いてたてられているポール先生の像です。氏は、日本BSAのキャンプ地を探す条件として、「富士山が見えること」というのを第一条件にされていたそうです。この、国定公園に囲まれた美しい立地を選ばれたのは、最善を尽くすことをモットーにされた氏の信条によるところだと感じられます。
景観と環境保全には、つとに信条が必要であります。対照的な駅前の混乱した街並み景観をみれば、信条を抜きにして都市政策のみで市場をコントロールした質の悪さを感じることができます。
今日、お二方とお話して、改めて感じたことは、「環境と活動に責任を持てる人材」の確保と育成の大切さでした。さらにぶれない信条があれば、きっと、美しい環境が増えるのだと思います。
ポール氏は、熊本県の阿蘇でも施設づくりを検討されたというお話を伺いました。まだまだ、将来には連帯できる多くの可能性が秘められている。ポール氏の像を見ながら、そんな事を思いました。
The Paul Rusch Memorial Center
最近、b-mobile3Gという150時間数万円というネット接続機を買ったので、いつでも、どこでもネット環境に触れることができるようになりました。少しはブログの更新を増やすことができると思います。
ここ数日、しんしんと雪が降りしきる山梨県清里に来ています。インタープリターの養成環境を視察するため、キープ協会を訪ね、その施設群や、活動の現状と課題について把握することを目的としています。
今日は、キープ協会を設立されたポールラッシュさんの足跡を展示されているポール・ラッシュ記念センターで1日を過ごしました。
1925年に初来日されて以来、日本BSA(Brotherhood of St. Andrew)の結成をはじめ、立教大学で教鞭をとりながら、「祈りと奉仕」による連帯の輪を広げ、清里の地に清泉寮を建設し、1938年頃から教師や青年向けのリーダーシップトレーニングキャンプやカンファレンスを実施されています。第二次大戦前に米国に強制送還された後も、戦後、GHQ将校として渡日され、「清里農村センター」構想を策定され、1952年にKEEP(Kiyosato Educational Experiment Project):清里教育実験計画を立ち上げられ、戦後の食糧問題、保健問題、信仰問題、青年教育に取り組まれました。その後、1979年に永眠されるまで、アメリカンフットボールの伝道も含め、精力的な実践と行動の人生を歩まれた足跡が、このセンターには紹介されていました。
(財)KEEP協会は、氏の遺志を継承し、新たに国際協力と環境教育を柱に立て、「教育と環境の清里プロジェクト」と題し、国際研修交流センターの建設が進められています。
私が特に関心を持ったのは、1927年の時代、ポール氏がBSAハンドブックを本国から手に入れ、「祈りと奉仕」による連帯を活用することで、日本における青少年教育の場を創造できると着想した点です。その後、米国に帰国され、3年に渡る過酷な募金活動をされ、人脈と資金作りに奔走されました。氏は、GHQの時代に、A0サイズの紙に鉛筆書きで、清里村におけるクリスチャンコミュニティーのプロポーザル図面を書かれています。このサイトプランは、まさに、現在のKEEP協会の建物配置その物であり、この時点で着想され、現代にその完成形を見ているということになります。
この1929年前後の、欧米の教会活動と戦後復興の動きは、その後の青年教育や環境保全、ボランティア活動の重要な契機となっていると推察され、KEEP協会の地は、日本における数少ない、その時代の流れをくむ地であると、印象を持ちました。
ポール氏が着想した祈りと奉仕による日本の国内開発、実験的な研修施設としての特性を大切にされている(財)KEEP協会は、それを拡大され、産業振興、地域振興、環境保全という枠組みの中で、強力な行動原理に基づき連帯の輪を広げていただきたいと感想を持ちました。