The Paul Rusch Memorial Center

asahiro2009-03-03


最近、b-mobile3Gという150時間数万円というネット接続機を買ったので、いつでも、どこでもネット環境に触れることができるようになりました。少しはブログの更新を増やすことができると思います。

ここ数日、しんしんと雪が降りしきる山梨県清里に来ています。インタープリターの養成環境を視察するため、キープ協会を訪ね、その施設群や、活動の現状と課題について把握することを目的としています。

今日は、キープ協会を設立されたポールラッシュさんの足跡を展示されているポール・ラッシュ記念センターで1日を過ごしました。

1925年に初来日されて以来、日本BSA(Brotherhood of St. Andrew)の結成をはじめ、立教大学で教鞭をとりながら、「祈りと奉仕」による連帯の輪を広げ、清里の地に清泉寮を建設し、1938年頃から教師や青年向けのリーダーシップトレーニングキャンプやカンファレンスを実施されています。第二次大戦前に米国に強制送還された後も、戦後、GHQ将校として渡日され、「清里農村センター」構想を策定され、1952年にKEEP(Kiyosato Educational Experiment Project):清里教育実験計画を立ち上げられ、戦後の食糧問題、保健問題、信仰問題、青年教育に取り組まれました。その後、1979年に永眠されるまで、アメリカンフットボールの伝道も含め、精力的な実践と行動の人生を歩まれた足跡が、このセンターには紹介されていました。

(財)KEEP協会は、氏の遺志を継承し、新たに国際協力と環境教育を柱に立て、「教育と環境の清里プロジェクト」と題し、国際研修交流センターの建設が進められています。

私が特に関心を持ったのは、1927年の時代、ポール氏がBSAハンドブックを本国から手に入れ、「祈りと奉仕」による連帯を活用することで、日本における青少年教育の場を創造できると着想した点です。その後、米国に帰国され、3年に渡る過酷な募金活動をされ、人脈と資金作りに奔走されました。氏は、GHQの時代に、A0サイズの紙に鉛筆書きで、清里村におけるクリスチャンコミュニティーのプロポーザル図面を書かれています。このサイトプランは、まさに、現在のKEEP協会の建物配置その物であり、この時点で着想され、現代にその完成形を見ているということになります。

この1929年前後の、欧米の教会活動と戦後復興の動きは、その後の青年教育や環境保全、ボランティア活動の重要な契機となっていると推察され、KEEP協会の地は、日本における数少ない、その時代の流れをくむ地であると、印象を持ちました。

ポール氏が着想した祈りと奉仕による日本の国内開発、実験的な研修施設としての特性を大切にされている(財)KEEP協会は、それを拡大され、産業振興、地域振興、環境保全という枠組みの中で、強力な行動原理に基づき連帯の輪を広げていただきたいと感想を持ちました。