石見銀山

asahiro2006-10-13

12日〜13日にかけて、緑と水の連絡会議のW氏の依頼で島根県大田市大森町を中心とした石見銀山遺跡を訪ねました。ここは、1526年の発見以降、灰吹き法という精錬法で銀を大量に産出し、江戸時代には年38t、世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれています。

かつての銀山柵内(ぎんざんさくのうち:鉱山エリアは柵で囲まれていた)には、大森の伝統的な町並みの他、間歩(マブ)と呼ばれる縦横に採掘された坑道、そして、無数の住居や寺社の跡地が一帯に分布しています。

現在は500人の閑村ですが、往時はなんと20万人が生活していたと想定されており、この数字の如何に関わらず、江戸、大阪に劣らない活況を呈していたようです。一方、「間歩に入ったら10年まで」と、働く人の寿命は短かったと言い伝えられており、俗説では3年ももたなかったとの話もあるそうです。

縦横無尽に人手で掘り進められた坑道の存在への驚きもさることながら、2500分の1の地図に描かれているお墓の多さ、また、山の斜面に続く、かつての住居跡の多さに、活況の影で失われた命の多さに想像力が追いつきませんでした。遺跡群を覆いつくそうとする緑は、記憶をさらに遠くへ追いやろうとしています。

さて、ここは世界遺産候補地であり、平成19年度に登録されるべくユネスコと共に手続きが進められています。文化財である間歩に加え、町並みは伝統的建築物郡保存指定が行われていますが、周辺の森林は制度的保全措置は行われておらず、拡大にまかせられている竹林と管理の遅れたスギ人工林が多くを占めています。

世界遺産の森づくりをどのように進めたらよいのか? 世界遺産登録を目前に、自然資源の美観を整え、地域の暮らしに息づく森づくりのマスタープランは描かれていません。

銀山街道や柵内の森を歩かせていただきましたが、相当過度の利用がなされてきたにもかかわらず、土質が黒ボクであるせいか、斜面上部までアオキが林床に頻出しており、植生回復に向けた恵まれた立地環境を有していると感じました。

問題は、私有地に広がる竹林とスギ人工林をどのように管理し、遺産周辺の美観を整え、地域に根付いた持続的な森づくりを展開するかということです。結局は、一般的な森と同じ問題です。

そう考えると、「世界」とは言わず、まずは、「地域自然遺産」として、地域の森を大切にするキャンペーンを行うということが大切なように思えました。もちろんここは、「世界遺産の森づくり」でよいのですが。

地域自然遺産というような地域共有の網をかけてしまうことで、所有者は共益に対する義務を持ち、一般に公開することが求められます。そこの森づくりについて、地域や企業から寄附や出資を募ることもできるでしょうし、地主は、実質的な森の管理を進め、遺産所有者という自負を得ることができます。その様な枠組み作りに、森づくりNPOだけでなく、行政や、ショップ、地場企業も協力することで、流行に流されない地域の基盤が築かれると思われます。

森づくりNPOに期待されることは、その切っ掛け作りとモデル林づくりではないでしょうか。世界遺産を踏み台にした、石見銀山のあるべき森づくりが必要です。私は、文化財を際立てるというような、森を付属物や背景と位置づけるよりも、本来の森の美観を整えるという方が、相応しいように思えました。あまりに多くの命が失われた往時と、現代の打ち捨てられた寺社やお墓跡を繋ぐ設えとして、美しい森は、風格としてより高い調和をもたらしてくれる様に思われます。

単なるマスツーリズムではなく、それを実現する森づくりプログラムができると良いですね。