菜種搾り

asahiro2006-07-20


昨年度から、里山保全体験ツアーで育て・収穫してきた菜種のタネを搾り、菜種油を作ることにした。依頼先は、NPO法人伊万里はちがめプランの「菜の花の会」にお願いした。

見学を兼ね、いろいろ説明をしていただいた。
菜種から、菜種油を作る工程は、まず、とうみにかけて選別をしっかりする。次に、釜で炒り、搾り機にかける。最後にフィルターを通して不純物を取り除き完成するそうである。

できた油を見せていただいたが、ものすごく美しい小金色をしていた。天ぷら油にするとすこぶる味がよく、胃もたれもしないそうである。

なぜ、菜の花なのか? それは菜の花プロジェクトネットワークの菜の花プロジェクト入門を見てください。花が楽しめ、収穫もおもしろく、天ぷらを食し、最後はカーボンニュートラルな燃料になる。また、油粕が肥料としてとても良いらしい。花が美しくストーリー性もある。水田と同じく、とても親しみやすい農作物であり、また、循環型である。
八女郡黒木町笠原では、昔、米の裏作として、麦と菜種を栽培していたといわれており、有用な作物だったのであろう。

さて、現代における、この菜の花プロジェクト。いったいどこまでその可能性があるのだろうか?
はちがめプランは、もともと生ごみ堆肥化の活動を主軸としており、代表の話の中で考えさせられる点がいくつかあった。

一つは、行政との関係性である。一般廃棄物である生ごみは焼却するという枠組みで公共事業は動いている。そのため、生ごみを資源として堆肥化するNPOに委託が出せないそうである。

二つ目は、農協との関係性である。農協は畜糞の堆肥を販売しているため、生ごみ堆肥とは競合してしまう。生ごみを循環させようとしても、生ごみ堆肥の利用と野菜の販売ルートが拡大できないとのことである。

三つ目は、菜種油をつくる体制はできたが、タネがない。

生ごみ堆肥化に菜の花プロジェクト、いずれも次代を担う魅力的な活動だと思われる。にも関わらず、既存の枠組みをブレイクスルーできない。代表はこういわれていた。「良いことだと分かっていても、結局、利益がでなければ普及しない。興味が無い。そういう国民性が見えてしまった。」と。

NPOの役割は、民間企業と行政の担わない公共性のある、市場性と公益性の隙間をマーケットとしている。企業も行政も縮小を余儀なくされる中で、持続的な地域の公共経営を考えるのであれば、NPO活動の活性化は市民が投資すべき対象であろう。利益が出る出ないで判断すべきものではなく、市民が支える公益事業である。しかしながら、このことはよく理解されていない。はちがめプランの直面している状況も、全国津々浦々で見られている。

既存の壁に立ち向かうNPO活動は、花火的に消費され、終焉するのだろうか? どのように、この壁をブレイクスルーできるのだろうか?
私には、よく分からないが、一ついえることは、時間がかかるのだと思う。10年〜20年。じっくり人と活動を続け、その環を育てるしかないのでは。時代は変わり、思ったより早く、その壁は自ら崩れていくと考えるのは、楽観的だろうか。代表は「それまで持たない」と言われていた。

私は黒澤明監督の「夢」という映画の最後のシーンが好きである。ロケ地は長野県安曇野の山葵園。農民がお花畑の中を楽しそうに歩いていく。何の行列なのかわからないが、ただそれだけの夢である。私は、葬列を楽しむ、季節を生きる民の世界のように感じられ、日本人の死に対する世界観のようにも思われた。素晴らしい映像だった。生ごみ堆肥や菜の花畑は現代の夢なのかもしれない。しかしながら、黒澤明サテライトスタジオのある伊万里市には、その夢を実現してもらいたい。