西欧の庭園様式

asahiro2006-06-05

日本造園学会全国大会が大阪芸術大学で行われ、その中で、学会として類を見ない芸大らしい大会記念舞台公演「庭園の響き 浜畑賢吉が語る庭園と音楽のひびき」が芸術劇場で行われました。

公演の主題は

「18世紀は、ルネッサンスからバロックにいたる整形式庭園を塗りかえる風形式庭園への様式の変化が生まれた時代であった。それは、リュリやヘンデルらが活躍したバロックと袂をわかち、モーツァルトが翼を広げた古典主義へと転換してゆく歩みでもあった。エステ荘庭園、ベルサイユ庭園、ストウ庭園を舞台に、舞踏と演奏で歴史を彩る庭園の響きを奏で、庭園が生み出された時代と芸術の関係に迫る。」


大阪芸術大学環境デザイン学科のコーディネイトのもと、演奏、舞踏、映像、語りのコラボレーションは圧巻でした。

フランスの整形式庭園から風形式庭園に至る過程において、英国の上流階級の若者がイタリアに留学したり、多くの画家が行き来し、影響を与えたことは有名である。今回、様式の移り変わりが、音楽と舞踏などの総合芸術として表現された舞台は、とても見ごたえのあるものだった。特に、リストがルネッサンス時代から300年を経たイタリアのエステ荘庭園で作曲した「エステ荘の噴水」の楽曲は、映像に流れるテラス式庭園の噴水群の水のしぶきと共に、とても印象に残る経験でした。

また、ベルサイユ庭園のマリー・アントワネットが居住したプティ・トリアノンの、整形式庭園計画から風景式庭園への変遷映像も、大変興味深かった。
浜畑氏の語りの中で、「マリー・アントワネットが整形式庭園を嫌い、風景式庭園を好んだのは、時代に即したことであった。しかしながら、その庭園の造営、頻繁に行われた舞踏会などの浪費が国の財政を圧迫し、庶民の蜂起と共に、4年後に絞首刑に送られることになった」というくだりがあった。世界を貿易で股にかける紳士階級が持ち込んだ風景式庭園の絵画や話題は、封建社会の虜であったマリー・アントワネットを魅了した。にもかかわらず、その市民社会の流れに断罪された彼女は、悲劇のヒロインだという解釈である。

しかしながら私は、彼女の悲劇よりも、それは、英国紳士階級のしたたかさではないかと仮説的に想像しました。ここでいう市民とは、一般庶民ではなく一部の上流階級であり、彼らが封建社会に終止符を打ったことは、まさしく革命です。フランス革命は庶民による蜂起が切っ掛けですが、誰かがフランス王室をそそのかし、革命の仕掛けを作った。この庭園史の中に、風形式庭園を作った英国紳士のミステリーが隠されているのではないでしょうか。18世紀に勃興した古典主義とは、英独伊による、フランス潰しだったのかもしれません。その後、1805年、英国のネルソン提督はトラファルガーの会戦において、フランス・スペイン連合艦隊を破り、ビクトリアンの大英帝国の時代を迎えることになります。

庭園とは、栄華を極めた芸術であり、それを所有した者の政治・経済の舞台装置でもありました。洋の東西を問わず、そのような見方で庭園史をみると、大変、面白いと思います。

さてさて、今回の公演は、ぜひ、映像プログラムとして、NHKで放映していただきたい内容です。このような造園分野の社会化・情報化は、大きな可能性を秘めていると思われます。思い出に残る良い大会でした。大阪芸大の皆様、ありがとうございました。