基礎製図

asahiro2006-04-11


4月に入り新年度・新学期。様々な新しい仕事の準備で慌しく、このブログの更新も手薄になってしまった。私自身の情報化・社会化を目指したサイトであり、見に来ていただけるサイトにしていくためにも、より身近に感じた話題も書き込みたいと思う。

最近、大橋キャンパスを出て、六本松へ1年生の基礎製図の授業に携わるようになった。

設計といえば、今日、CAD(Computer aided design)で書くことが当たり前になってしまった昨今であるが、うちでは「手書き」を重視している。

A2の平行定規にA3のケント紙を貼り、ホルダーの芯を「シャリシャリ」研ぎながら、見本図面からスケールやコンパスで空間を読みながら図面を起こしていく作業である。

37名をブラブラ見ていると、どんどん書き進める人もいれば、そうそうに筆の進まない人もいる。手作業というのは、同じ事を教えても、一様でないから面白い。私はここに、「手書き」の意義があるように思う。

最近ではコンピューターが当たり前だから、時間がかかり、品質に差の出る手書き図面不要論がまかり通るご時世である。

しかしながら、コンピューターの中に描く建築や空間をイメージするのは人であり、イメージを伝える方法は手書きの描写やスケッチが最も身近なツールである。

デザイナーたるもの、手が動かなければ仕事にならないのである。

ブラブラ見ながら、手の動かない人のそばに行き、なぜ、手が動かないのだろうかと観察してみた。いろいろ思い巡らすが、なかなかこれといった原因が見出せず、アドバイスに苦しんでしまう。

一つ感じたことは、動かない人は、まじめで、素直で、丁寧なようだ。別の言葉で言えば、発想が貧困で、応用が利かず、大胆不敵さがない。

早く美しく書くには、どうすればそう書けるかを考えなければならない。書き方はいくとりもあり、技法を総動員しながら、常に判断を組み替え線を引き分けていく。早く書くには大胆に手数を減らしたほうが良いし、また、ぐりぐりと太くメリハリのある線を引いたほうが、できばえも良い。

精緻な製図も重要だが、それよりも、どんどん紙を汚し、身体と全能を駆使して図化して欲しい。それが、きっと頭に空間を焼きこむ経験になると思う。

授業の後、準備室で恩師であるK先生とお話した。「やはり、図面やスケッチは、さらすってことが大事だね〜」と、学生のスケッチをみんなが見れるように一つ綴りにされていた。
どのスケッチにも個性があふれ、人目に晒されることで、また、線が活きてくるような気がする。

鉛筆であれコンピューターであれ、道具という点で差異はないが、自己のイメージ力を経験として鍛えるのは、やはりスケッチであると思われる。チャック先生の言われていた「スケッチ、スケッチ」という言葉を、今後も大切にしたい。