温暖化の流れ

うちにはテレビがないので、情報は新聞やネットで垣間見る程度でしかありません。サミットが行われたせいか、ここそこに温暖化の情報に触れる機会が多くなったような気がします。

その中で、目についた記事が3つほどありました。

1つは、西日本新聞(2008.7.21,p15)社会時評高村薫氏が掲載された「温暖化防止に及び腰だったサミット  「人類」と無縁な国家・企業」です。要点は下記です。

  • 逼迫する食糧需給と原油価格高騰に議論が終始し、2050年までに温室効果ガスを50%を削減するという数値設定は新興国の強い反対により盛り込まれなかった。
  • 温暖化の危機は、未だ理念にとどまっており、利益を犠牲にしてまで国家・企業は動かない、そのような経済活動はありえない。
  • 各国はCO2削減のため原発増設に走り出し、一方、石炭火力発電所を多く抱える国内は、電力会社の利益確保のため自然エネルギーが普及しない一因だと指摘される。
  • 経済、資源、軍事を譲れない各国が温暖化対策に踏み出すのは、余程事態が悪化してからであり、その頃は、戦争に明け暮れ、環境問題どころでではないかもしれない。

最後に高村氏は「国家や企業は、もともと人類といった理念とは無縁のものである。利害を離れて、人類の未来という発想ができるのは私達個人の理性だけなのだが、ならば個人が国と市場に一定の歯止めをかけるほかない。」と書かれていました。市民活動による世論の形成なくして、何も社会は変わらない、そんな事を思いました。

2つ目は、Mainichi Weeklyにペオさんがスウェーデンの環境の取り組みを紹介されていました。原本をどこかに紛失してしまい引用先を記載できないのですが、とにかくかの国では、「地中の資源は使わない、地上の資源を利用しよう。」とされているそうです。これ、わかりやすくないですか? 自然界では莫大な量のエネルギーが動いている。エネルギーを使うのが悪いのではなく、地下資源から生成したエネルギーを利用するのが悪いというのです。省エネが強化される日本ですが、消費者がこのような発想をしなければ、国家と電力会社は、変わりそうにありませんね。

最後に、一昨日の英字新聞に、石油の生産実態について記事がありました。近年の石油価格の高騰は投機的な要因もあるけれども、実際は、石油消費量の増加率に対し、生産の増加率が追い付いていない。さらに、低価格で採取できる油田のほとんどは、イラクを除きピークを過ぎており、今後、新たな油田や採掘技術を開発したとしても、コストがかさみ、かつ、油糧も限られるということでした。生産性を高めるために、アメリカは、アラスカの自然保護区の開発規制を、最近、解除してしまいました。

低炭素社会」というメッセージが発せられる昨今ですが、石油市場は、温暖化に対してだけでなく、政治、経済、社会に対して厳しい状況が続きます。Wise Use(ワイズユース)という言葉を最近、時々思い出します。湿地保全でよく使用される言葉ですが、身近な地域資源の循環利用、地上で生産されるエネルギーの利活用が、持続的な生活や地域社会に、今後、ますます必要になると感じる今日この頃です。