新生・森林と市民を結ぶ全国の集い

asahiro2009-12-06


12月5日、6日に「森林と市民を結ぶ全国の集い2009 in Tokyo」が行われました。今回の「森林と市民」には「新生」という意が込められていました。何が新生なのか?

昨年度は福岡で行われましたが、巻頭に「第13回」が付いていました、今年はありません。実は、次のような意図がありました。

これまでの森林と市民は、市民参加の森林づくりの牽引役として活動のステップアップやネットワークづくりに寄与してきました。ご存じのように、森林ボランティア団体数は全国で2千数百を超えるようになり、一定の役割を果たしてきました。
この東京大会からの新生「全国の集い」は、これまでの役割を継承しつつ、森林ボランティア活動がより一層社会的に意義のある役割を発揮するための学びと交流の場となることを目指しています。これに伴い、2年に一回東京で行い、その間の年は各地域で開催を行う。

というものです。

森林ボランティア活動は一定の広がりをみました。これからの国民参加の森林づくりはどこに向かうのでしょうか。私は、東京で行う意義、それは、森林と共に、教育、健康、福祉、デザイン、まちづくりなど、森を通じた様々な社会的な活動に活躍されている方々による、テーマ型の分科会活動、情報の共有、パートナーシップ型の企画・立案、政策・提言活動だと思います。森林へのニーズが多様化し、森林環境税地方自治体ではじまり、異分野の森への関わりが始まりつつある昨今、東京会場にはそのような役割を期待したいです。従来の森林ボランティアの集いは、地方で良いではないですか。そう思います。

さて、今回の集い、実行委員長の内山節先生は「今、あらためて“森林”の価値を問う」と提起されました。林業のさらに厳しい状況が報告される一方で、森林ボランティア活動が副業的な森での稼ぎ・暮らし方を提起する。さらなる林業の大規模化が推し進められる状況の中で、業に勝者はなく、世論形成や新たな森と共にある暮らしを見出そうとする森林ボランティアとの相互理解は、乖離しつつあるような感さえ受けました。
内山先生は、最後にこのような内容の総括をされました。

  • 日本の社会はグローバル化の中で、急速に転換しつつある。
  • 上位を譲らない経済に、強く述べられる多面的機能に、あまり振り回されるのはやめよう。
  • 私達は、無事に生きていければ良い、家族も、地域も、自然も、すべてが無事な社会。
  • 皆が無事でなければ、自分が無事でいられないことに、私達は気が付いてきた。
  • 自然と森を含めて無事に生活できる社会はどうすればよいのか、その中での私達の活動を考えてゆきたい。

帰りがけ、立教大学の近くのカレー屋さんに一人で入った。食事中、ネパール人の店主は、朗らかに私と話をつづけてくれました。その中で、
「ある国の人に、“やあ、元気?”と声をかけたら、“こんなに経済が悪いのに、元気なわけないじゃない!”と答えるんだよ(笑)。あいさつのつもりで声をかけたのに。かの国の人には、哲学がないね〜」と。

林業は、私達の暮らしは、文化を、哲学を、自然と共にある思想を持ち続けていられるでしょうか。生産現場からだけではなく、こんな巷から、そのような声が出てきています。